【『デジタル庁が「打上花火」にならないための処方箋』を東洋経済オンラインに寄稿しました】
菅政権が音もたてずに始まりましたが、私は菅総理にいろいろな意味で「熱」を感じない。安倍元総理はポーズも含めて「熱」があったし、それを利用していた。この、菅氏のレーダーに映らないような感覚。不気味なんですね。
と、同時に、国家の舵取りとしては、何も見えてきません。「安倍政権の継承」って、そもそも継承元の安倍政権が何をしてきたのかよくわからないし、何をもって継承というのかもまったくわからない。
そんな中、デジタル庁の創設を割と前面に押し出していますが、これについて、東洋経済オンラインに、『デジタル庁が「打上花火」にならないための処方箋』として寄稿しました。
データ・グローバリゼーションの中で、明確なナショナルアイデンティティを持たずに場たり的な政策をし続けても、まったく意味なしです。中国、ヨーロッパ、そしてアメリカと、それぞれがそれぞれの国の哲学をもって、
なぜなら、このデジタルデモクラシーへの対応が、2020年今現在の立憲民主主義における「個人」像や「国家」像を決めるからです。我が国はいったいどんな国家像を選択するのか問われています。
組織的に見ても、かなり他省庁から権限をはがしてもってくるか、統合的に付与するかしないと、また内閣府みたいな調整機関と堕して、何もできないけどだからこそ”恫喝だけする人たち”になってしまう。
個人的には、大真面目に、なんにもしないと「令和のおじさん」が「ただのおじさん」にナッチャウヨ!と書いたところがクライマックスです(なんの感想だよ)
データ・グローバリゼーションにおける国のかじ取りについては、拙著『リベラルの敵はリベラルにあり』でも、詳しく論じておりますので、そちらも是非!
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